みそ研究会かめのこ会

  福井地区 二十日会の今日まで
 二十日会と称して、福井地区の醤油・味噌業者が毎月例会を開く様になったのは昭和30年頃であるが、その生い立ちをさぐると戦前からこの様な会があり、十三日会、又、ある時は十八日会と言った時代もあったらしい。
 昭和30年頃までは、毎月18日に片町の恵美屋と言ううどん屋の2階に集まって、食事をしたり、酒を飲んだりしながらいろいろと商売の話をし、社会の出来事などを話し合い、お互いの交流を深めていったものであった。
 当時、世話人(幹事)をして戴いたのが、今は故人となられた吉川誠一氏で、その後田崎琢爾氏にかわったが、昭和34年からは幹事は2年毎に交替してする事になり、今迄に12名の方が世話をしてくださったことになる。
 毎月の例会は、初めは魚屋などを利用して集まっていたが、組合の会館ができてからは会議室に集まる様になり、その頃は、お茶一杯で2、3時間も話し合っていたものであった。そして、楽しみの一つとして講をする様になった。講の掛金を毎月3,000円として1年間で36,000円を集め、そのうち最高を33,000円として落札するという方法で、残りの3,000円と講の割戻し、それに別に1,000円の旅行積立てをしていて、それらを合せて1年に1回研修旅行をする様になった。
 旅行は毎年10月に行なう事になった為、会計年度は10月から翌年の9月迄という事になった。その後、昭和45年より会費は旅行費も含めて5,000円となり、現在は7,000円となっており、うち36,000円を落札するという方法をとっている。
 さて、二十日会の歴史の中で、思い出として残る出来事をたどってみたい。
  酒と二十日会
 酒豪の多い二十日会でも、やはり最高だったのは昭和40年の忘年会の時だったと思う。会場は魚生で、参加者21名、そのうち2、3人はジュースやサイダーという人が居たから、酒を飲む人は17、8名という事になるが、なんとその時に、2時間で1斗6升の酒を飲んだという事である。
 現在の様に銚子何本というのであれば、今でも20名で120本は普通であるが、当時は正味1升ビンで16本飲んだのである。そして、「はい、御馳走さま」と誰1人乱れることなく帰ったのを見て、女中さんが「今迄長い間接待をしてきたが、この様なお客さんは始めてだ」と、当時の幹事さんであった古村氏に、驚きをもらしていたそうである。
 でも、今ではあの当時が懐かしい。又、それくらい飲んだのに1人宛1,400円と記録されているのを見ると、全く嘘の様な話である。
  白浜温泉の思い出
 昭和34年、若手の山元幹事さんの誕生で、甘日会の運営も一新し、会員相互で親密度がまし、組合も手近かに感じられる様になり、今日の組合の繁栄の糸口も、此れから始ったと思う。又、研修旅行にも観光が加えられ、白浜観光には材料問屋も同行され、特に夜は、今の香港のショーの如きものを、軒をつらねていた記憶が強く残っている。(喜多川記)
 
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