みそ研究会かめのこ会

  旅行と二十日会
 旅行といっても何しろ忙しい人達ばかりだから、1泊2日か、或は車中1泊を含めた2泊3日程度の旅行と言う事になる。
 最初は研修視察が目的で、大阪方面では長瀬産業、樋口モヤシ、阪大などへ出かけたが、東京方面への視察旅行が一番記憶に残っている。それは2泊3日(車中1泊)の日程で、勿論、新幹線は走っていない頃だったので、福井駅発午後8時何分かの「越前」の寝台車で出発という事だったが、うれしさと期待で30分も前に駅に行っていた。それぞれ大きなカバンを持って車中の人となったが、初めての寝台で眠ることも出来ず、うとうとする間に大宮に到着した。早速、長島みそ工場を見学したが、当時としてはすばらしく近代化された工場で、蒸米の放冷機を始め、10石桶を温醸庫より移動するリフターなどを見学して、井戸の中のカエルではいけないんだと、大変感心したものだった。続いては日本醸機株式会社の見学で、バス・電車を乗り継いでようやく会社に着いた。しかし、会議室に入って説明を聞く頃になると、全員が大分疲れてきて、一番前に座っていた幹事さんが、コックリコックリ始め、そのうちグーグーやり出したのには一同困ったものだった。勿論、観光の面も忘れなかった。夜の「はとバス」に乗って日劇に着く頃には皆元気になり、目はらんらんと輝いていた。次の日も2ヶ所の見学をして、福井駅に着いたのは夜半という事で、疲れて翌日も仕事にはならず、結局3日休んだことになってしまった。
 この様な研修旅行が3、4回続けられたが、視察研修と観光を兼ねることは大変疲れるから、視察は視察、観光は観光として楽しい旅行をしたらどうかと言う事になった。昭和35年に白浜温泉へ観光旅行したが、幹事さんの計画がとても上手だったので楽しいものになり、その時、今で言う御座敷踊りとか言うのを始めて見せてもらい、びっくりしたものだった。
  尾瀬沼の想い出
 昭和50年と51年に二十日会旅行の世話をした。富山旅行の時は下見聞にも出かけて井波別院、YKK工場、たら汁など盛合せを工夫した。尾瀬沼旅行は、観光旅行社にまかせて手を抜いた。国鉄自慢のエックのメニューも、平凡ながらも手のかかった味には勝てなかった。旅の楽しさも、料理と同じ、やはり心だと思う。(多田記)

 その後も汽車による観光旅行が何回か続けられ、それは主に福井県観光旅行社に依頼して行なわれてきた。
 初めてバス旅行が計画されたのは昭和41年だった。(さきの忘年会の酒の全盛期の頃である)それはバスの定員の関係で他の団体と合流した善光寺・志賀高原・草津温泉の旅だった。集合場所の中央公園へ喜び勇んで集まった一同は、バスに持ち込む予定の1升ビン2本を、バスを待つ間に空にしてしまった。合流したグループの中にA町の婦人の方々が居られ、出発と同時に既に何年も前からのお付合いの様に親しい一つのグループとなり、早速、車内宴会が始まった。そして途中停車すること数回、酒の補給をしたり、焼鳥まで仕入れられた。マイクが次から次へと廻され、この時には始めて二十日会の全員がマイクを持って歌ったと言われている。とにかく、バス旅行の楽しさを始めて経験したのはこの旅行ではないだろうか。今尚、旅行の話となるとこの時の事が話題になる。
 それぞれの年で、幹事さんのいろいろな人柄を反映したり、努力によって変った計画がなされ、二十日会の行事の中でもこれらの旅行が最も楽しいものとなっている。
 こんな旅行もあった。それは昭和51年の尾瀬沼、奥只見方面への国鉄旅行だった。2日間の全行程が二十日会16名の男性と、金沢の還暦祝いの老年の男性グループとの合流で行なわれた。汽車とバスにゆられ乍ら山奥深く入って行き、ようやく檜枝岐の宿に着いたが、夜の食事となって出された料理が山菜料理、しかも女中さんは居なくて、宿の奥さんと娘さんが御馳走と酒を運んでくるだけで、男性同志の味けない宴会だった。外に出てみても、そこの名物だと言う「そば屋」が一軒あるのみで、旅の疲れも手伝ってか、いつもの旅行のようには酒の量も進まなかった様だった。帰りの金沢駅での夜食の時には、毎食の山菜料理に参ったのか、何かカロリーのある物を食べさせてくれ、という冗談も出る有様だったが、これも又楽しい思い出として残るものである。
 五箇・氷見旅行も思い出の一つである。古寺や近代化されたYKK工場などを見学して、昼食は越中宮崎の「タラ汁」まで足をのばした。日本海の珍味「いかの糸切」を丼でかき込む頃には酒もまわって、天下泰平、明るい日ざしの中で唄と手拍子が長時間続いたものだった。
 最初の海外旅行は香港であった。始めてのジェット機の方も多く、離陸の際には顔色はなくなり、全く無口になってしまったものだし、入国の時の緊張した姿も強く記憶に残っている。買い物天国が売りものであるだけに、人につられて、誰に贈るのか想像できない程たくさんの品物を買った人もあった。
 東南アジアの旅では、一寸暗い思い出もあった。1人がパスポートの不備でマレーシヤへ入国できず、出入国事務所で只1人足止めされたのだ。激怒した彼は、帰国まで感情がおさまらなかった様だった。
 ここで今日までの旅先を表にして、会員皆さんの想い出の参考にしたい。

(幹事)
昭和  35 大阪     山 元
 〃  36 白浜温泉    〃
 〃  37 大牧温泉   木 村
 〃  38 修善寺温泉    〃
 〃  39 中能登     喜多川
 〃  40 城ノ崎温泉    〃
 〃  41 志賀高原   古 村
 〃  42 四国      〃
 〃  43 富士五湖   牧 野
 〃  44 黒四・姫川   〃
 〃  45 秋芳洞    伊 東
 〃  46 日光      〃
 〃  47 保津川下り  永 森
 〃  48 伊豆めぐり   〃
 〃  49 高山     山 元
 〃  50 昇仙狭     〃 
 〃  51 五箇氷見   多 田
 〃  52 尾瀬奥只見   〃
 〃  53 京都・滋賀  白 崎

昭和  49 香港・マカオ
 〃  53 東南アジア
  香港の思い出
 財布の紐が弛みっぱなしで、頭にかぶってもなを不足のS氏は大散財。通関の時、時計なども他人に預けるなどして苦労して帰国。福井出発の際に数人の見送りあって一同感謝感激、処がアニハカランヤ。彼ら一同、駅を集合場所にして行楽にしけこむ魂胆が主目的だったと後日聞き、只呆然。香港の夜景と中国料理の味は今も忘れない。(山元記)
 
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