越前こきむらさき、手づくりしょうゆ
竹田醤油店
◆我が家のはじまり
 我が家は、明治の初めに初代鉄次郎(私の祖父)が中野屋清助の次男として生れ、旧大野町で新世帯を持ったのである。その当時は畳製造業を営み、腕も利き、中々の働き者であったと聞いて居るが、明治の2度の大火に逢い相当苦労したようだ。現在の家は新世帯から3度目に建てた物である。
 ニ代目清作は幼少の頃から商売が好きで、少年の時から父の仕事を手伝ったが、その傍、あれこれと何でも買ってきて親や知人に世話に成った。私は子供の時からその話をよく聞かされたが、その通りの人だから成人してからも何度も商売を換え、私の知っているだけでも6回、現在の醤油業は7回目だときいている。

◆創業
 又、清作は社交家でもあった。大正の初め頃、当地、勝原で白山水力株式会社(現在の北陸電力)の電力工事が始まる事になった時、父は4、5人の友人と話合い発起人となったのである。そして其の工事場への食料品の販入を目的として大野食料品株式会社を創立し、醤油及び味噌もその一部として取扱って居たのである。しかし、その後工事も次第に終りに近づきつつあった時、食品会社は現在の大野魚市場と合併したのである。その間に醤油味噌だけは誰か責任者をと云う事になり、父清作がそれを引受けて、雇い人を1人頼み、その人に小売りをさせたのが創業の第一歩である。大正9年5月頃のことであったと思う。
 その後、小売りだけでは駄目だと気が付き、家業は全部雇い人にまかせ、醤油屋として生きるべく考えたのである。そこで諸味を現在の福井醤油会社より買い、はじめて我が工場で搾り加工して売出したのである。

◆苦難時代
 そこで種々難儀な事があった。特に夏季の「カビ」について色々苦労したが、どうやら他人様のお蔭を以て、マルイチの醤油は「カビ」が生えないと評判になった。そして次第に売上げも伸びてきたが、当時私はまだ12、3才だったので何も間に合わず、又雇い人も仲々良い人にめぐり会わなかった。そのため父も相当苦労し、やむなく自分自身で町中を御用聞きまでして販路を広げていった。そのうち良い雇い人もみつかり、私もだんだん大きくなって、14才の時には学校から帰ると父を助けて手伝ったものである。幸か不幸か、私は幼少の頃より病弱だったので、学問より家の手伝いをした方が健康上にも良いということで、中学を中退して家業に専念した。その間に、1本ずつでも仕込桶をふやし、自分で製麹できる様になり、諸味もだんだんふえて売り上げも増したのである。

◆苦難から脱出
 商売の方は平穏だったが、母親が病弱だったので、少々早かったが周囲からの勧めで、昭和4年4月、高尾家次女ふじゑと結婚した。そして一家揃って益々家業にはげみ、昭和15年の春、父の承諾を得て初めてボイラーや攪拌機、麦煎機など諸機械を入れる事ができ、醸造業の形をなしてきた。
 処がたまたま戦争が始まり、皆様同様色々苦労が起ったのである。まず原料の獲得に力を尽したが、組合内でもこれについてはむずかしい問題が多々あった。私はどうやらやりくりして少し乍ら味噌も作った。
 その後終戦となり、もとの御用聞きが始まったので、販路を広げる為、原動機付自転車を買ったりオートバイに買替えたりした。そして昭和28年春、初めて玩具の様な中古の小型トラックを1台買入れ、遠方まで販路を求めた。こうして、一時は自分なりに売り上げに自信を持ったのであるが、農協の発展に伴って各地の農協婦人部の働きにより、相当の売上げ減少をみた。しかも、その後郡部で始まったダム工事の為に、まず西谷村が、ついで上下穴馬村(現在の和泉村)が次々と全村民の引上げを行い、郡部の得意先は全く無くなり、売上げも相当減少した。これらはいずれも時代の推移で、致し方ないことだった。
 しかしながら、私も結婚後ニ男三女の子宝に恵まれ、彼らもそれぞれ成長した。長男も昭和33年8月、田辺家の長女麻子と結婚して男子も2人授かり、今では蔵仕事に励んでいる。私は健康に留意しつつ、今なお得意先を廻っており、3人の従業員と共に一家揃って一生懸命家業を守っている。孫も2、3年後には家に帰り、家業を守ってくれるだろう事を楽しみにしている。今にして思えば、その間、昭和28年3月に母を亡くし、又、昭和43年4月7日、父の米寿の祝をしたが、それも束の間、その月末の29日、父を亡くした事は誠に残念なことだった。

◇しょうゆ、みその雑学 〜商標のルーツ〜
 県内産の醤油にも色々の商標があります。それには共通の基本型があります。先づ亀甲型は、下総の国にある亀甲山香取神社の山号でこれを図案化し、亀は万歳の仙齢を表わしたものです。山型は紀州徳川家の家紋に由来する説と、僧、覚心の開いた興国寺が開山と通称され、その山をとって商標にした説があります。円型は竜野の醤油業、円尾家のマルに由来するとされています。富士型は単に富士山を図案化したもので、関東地方に多いようです。山型に上という字がついているものは、元治元年に野田と銚子の七銘柄が「最上醤油」と呼ぶことを公許されたことに由来します。全国から商標を集めると珍らしいものが発見されるかも・・・。