まるほしょうゆ
堀醤油店
◆創業の頃
 初代の堀猶吉は、父親が全財産をいろいろな遊びに使い果して無一文となり、裸同然となり、小学校もろくに出ずして醤油屋へ奉公に出る事になった。その店で真面目に働いた為、店の主人の信望も厚く、明治40年頃に妻と2人で醤油業を始めるようになったときく。
 創業当時は、荷車に醤油をつめた徳利を積んで遠い山道を売りに歩いた。このようにして、得意先を少しずつ増していき、従業員も1人、2人、3人と使うようになり、醸造業としての基礎をつくっていった。
 商売の方もようやく軌道にのりこれからという時、昭和8年の10月、猶吉、若い時から身体をかまわず一しんに働いた為、身体をこわして50才の若さでこの世を去った。その時、長男の猶栄は10才の幼少であった。

◆苦難の時代
 夫亡き後、妻のつるは女の子3人と男の子1人の子供を育てながら、ほそぼそと商売を引き継いで苦難の時代を迎えた。母親は女の子は将来嫁ぐためにと女学校へ入れたが、男は商売屋には学問はいらないと、早く学校を卒業させて家の商売を継がせたかった。その為、長男の猶栄は13才になると商売を引き継いで、朝学校へ行く前に自転車で得意先へ注文をとりに回り、授業が終るとすぐ家に戻って朝の分を配達するのが日課となった。母親のきびしいしつけにも何一つ文句も言わず、このようにして小さい時から家族の柱として頑張った。又そのあいまにはスポーツも楽しんだ。戦時態勢に入り、高等科を卒業すると青年学校へ進み、軍事教育を受けた。そして優秀な成績で卒業する。その内第二次大戦が始り、20才になると当然徴兵検査を受け、甲種合格で現役として京都へ入隊する。母親も1人息子を兵隊にとられ、仕方なく店の方も当分休業せざるを得なくなる。昭和20年、敗戦と共に復員してくる。当時は世相の混乱しており、生活していくのに非常に苦しい時代であった。そこで姉の山元醤油店で働く事になった。山元の家でも、夫を戦争で亡くして因っていた時なので大変助かった。
 そして昭和23年の10月に妻の和子と結婚した。

◆再出発
 昭和26年、母親の念願で父親の残していった醤油業を再開する事にふみきった。幼少時代から母親にきびしく仕込まれた経験と、もちまえの度胸で、まるほ醤油醸造場と名を改めて、桶を1つずつ買い集め、倉庫も建てて、又、元のように母と妻と3人で営業を始めた。然し長い間のブランクがあり、猶栄の苦労は並大抵ではなかった。
 新しい得意先を求めて、毎日毎日自転車に醤油の瓶を積んでかけ回った。そのうち自動車も購入して、どうにか商売も順調にいき、生活にも少しはゆとりが出来るようになる。
 昭和32年6月、母親が75才で他界した。
 そして昭和36年の4月に、老朽化した家を取りこわし、そこに新しく住宅兼店舗を建てた。
 真面目と信用を売り、男2人、女1人の子供にも恵まれて、夫婦は子供の成長を頼りにして働き続けた。子供も成長して長女が結婚し、2人の孫のおじいちゃんとなり、長男は大学を卒業すると就職し、次男に商売の後を継がすべく、高校を卒業すると、北陸醤油生揚協業組合へ見習いに出す。こうして、少しゆとりのある身となり、信用も深く、町内区長を引き受けて5年目、次男が家業を引き継ぐ寸然、昭和53年7月、若き55才でこの世を去った。大黒柱を失い家族の悲歎は大きかった。
 三代目、栄次郎、まだ醤油業には若くて未熟な青年ですが、先祖に深く感謝して、一生懸命守るつもりです。