マルサンしょうゆ
マルサン醤油醸造場
◆創業のころ
 明治29年、三代目の満蔵は、当時40才、一家の大黒柱であった。21才の時、同じ糸生村清水の戸田市郎右ヱ門の長女トメと結婚し、既に2人の子供があった。体はあまり大きくなかったが、非常に頑固な性格で、先代からの木材と米商いを受け継いでいた。家では老父とトメがタバコ・塩・荒物などの小売り店を営んでおり、割合順調な日々を過していた。
 福井の町まで七里半、山を越え、谷を越えての一本道で、天王川を舟で渡っての木材・米商いは、商売といっても殆んど運搬業に近く、大変な重労働であったらしい。ある時、満蔵は「木材の代りに、米と最も関係の深い醤油を造って販売してみてはどうか。」と思い立ち、もう寒い12月ではあったが、5升釜1本と売場桶2、3本を用意して、1升ずつ販売を始めたのが現在の醤油業の第一歩であった、と聞いている。歩く事には自信のあった満蔵は、注文を受けては西へ東へと配達に出たが、まだまだ自家製の家が多く、出荷量は微々たるものであった。
 5年も過ぎた時には、ようやく醤油業の形が整い、売場も次第に広くして、木材商から醤油業にすっかり替っていた。その間、次女ユウが生まれたが、老父三右衛門は老衰の為、長く床にもつかずに他界した。現在の家屋敷を拡張し、当時としては実に文化的な瓦屋根の住宅を、苦労して建ててくれた主の死であった。満蔵はその父への感謝を常に忘れなかった。

◆波乱の時代
 長女サトが織田村の上阪家へ嫁ぎ、営業は順調に進んで、新しく土蔵を建築したのもこの頃であった。だが、家を継ぐはずの長男耕佐久が「商売は好かん。」と言って家を飛び出したのはショックであった。止むなく、末娘ユウが17才になった時、三方村和田の田中孫右ヱ門の三男孫太郎をユウの婿殿として迎えた。孫太郎は黙々と醤油業に勤め、お得意さんを一軒一軒ふやして頑張った。翌年、早くも長男三吉が生まれ、我が家は喜びにわいていた。しかし、それもつかの間、孫太郎が風邪をこじらせて急死してしまった。結婚して3年目、大正9年3月4日であった。生まれて百日程の赤ん坊を抱えての20才の未亡人ユウは、ただおろおろするばかりであった。1年も過ぎた頃、父母も親戚もしきりと再婚を勧めたが、ユウは聞き入れなかった。亡き夫の分も頑張って、三吉を立派に育てる決心からであった。ユウは男のように頑張り、正に苦難の十有余年が続いた。
 やがて、三吉は優秀な成績で高等科を卒業し、ただ猛然と母ユウの片腕となって働いた。我が家で始めて自転車が使用されたのもこの時期であった。かくして、ようやく暖かい日差しを身に受ける頃となったが、昭和11年、満蔵は2、3日の病気の末、死亡した。72才であった。
 昭和16年、三吉は22才で、志津村平尾の南彦左ヱ門の長女千代子を妻に迎えた。翌17年には長男満男が生まれたが、よちよち歩きの頃、家族のちょっとした隙に家の前の貯水池に落ちて水死してしまった。昭和19年1月、長女美智江が生まれたが、戦争はますます厳しくなるばかりで、原料の不足が目立っていた。そして6月、ついに三吉に召集令状が届いた。一家を挙げて笑顔で送り出すより他、どうしようもない時代であった。三吉も、女・子供を残していくという大きな不安を背負いつつも、元気に出征した。
 三吉を送り出し、一層寂しくなって3ヶ月目の9月、トメが死んでいった。87才であった。そして終戦がきたが、待っている三吉からの便りは依然としてなく、昭和21年1月10日、実に残酷極まる悲報となって届いた。三吉戦死の通知であった。永い歴史の中でも、我が家にとって二度とない暗黒の日であった。残された母ユウは45才、未亡人千代子25才、長女美智江は2才になったばかりであった。

◆苦難からの脱出
 嘆き悲しんでばかりいても始まらない、とはわかっていても、またしても気持ちのくずれる日々が幾日か続いた。しかし立ち上った時には、ユウにも千代子にも、もう涙はなかった。諸味の蔵も空になっていた。そんな時、「原料確保を急げ。」「仕込みをしろ。」「販売を怠るな。」と勇気づけてくれる同業の人がいた。神明の黒田伝兵衛氏であった。後に、現在の我が家の主恵が奉公して、恩を受けた店の主人である。色々と手ほどきしてもらい、又第一歩が始まった。やがて諸味桶は満たされ、千代子は自動車免許をとってミゼットを購入し、少しずつお得意さんまわりを始めていった。
 その間、昭和22年の春には、親戚である小倉の青山伝右衛門の四男で、未だ小学校へ入学したばかりの8才の少年だった恵を養子に入籍し、次代も醤油業を続けてゆける様にと考えていたのだった。
 恵は丹生高校を卒業すると同時に、黒田伝兵衛氏宅に6ヶ年の修業を受け、美智江の丹生高校卒業と同時に結婚した。永年男手のない苦難つづきの我が家に、やっと春が来た。醸造機械も一通り揃い、工場も1棟ずつ改築されていった。昭和46年には酒類販売の免許も受け、朝日町朝日の地に酒類小売店を開業した。昭和48年には明治25年来の古くなった家をとりこわし、現在の住宅も新築できた。
 創業以来80年の歴史の中で、実に波乱の多く苦難の連続だった我が家も、記し得なかった数多くの人々からの強い励ましと暖かい支援を賜わりながら、今日のマルサン醤油が存続している事を考え、ますます精進し、努力してゆく事こそ感謝につながるものと思っている。