トウブしょうゆ
東部醤油株式会社
 昭和12年に日支事変が勃発するや、支那大陸において13年、14年、15年、と戦場はますます拡大され、軍籍有る若者は召集に次く召集で、殆んどの者が戦場に召されて行き、残りし若者は軍需工場に白紙動員で召集され、平和産業は全国的に主力を失い、我が生業の主原料たる大豆、小麦、食塩等も極度に減少し、人的にも大黒柱を戦場に送られて、家業の経営も非常に困難をきたす様になりました。政府は米をはじめ軍事に必要な物から遂次配給制度を取り入れ、我が業界の主原料も割当制度がとられた。又、政府の方針として半強制的に企業の共同をせまられ、筆者らの如き、少さな業者は事業の合同をせざるをやむなきに至った。
 そこで、今立郡の東部に住する製造家5人が、何回も相より相談した結果、粟田部の福田弥三右ヱ門の工場に諸味等、現物出資の形で出来たのが今立東部味噌醤油共同製造所であった。(筆者は出征中だったので後見人の高橋仙助が出席)共同はしたものの、今思いますと実に幼稚な原始的なものでした。当時の合併者は次の5名、大滝の三田村貢(代表)粟田部の福田弥三右ヱ門、定友の黒田半兵衛、五分市の佐々木小右ヱ門、河和田の高橋与八郎。
 “マークの意味”これは、継体天皇由来の薄墨桜の桜を表し5枚の花びらは5人の団結を意味し、東の字は今立郡の東部地区の東を意味したものだ。
 共同した当時は、従業員の方にもそのまま共同製造所に来てもらい、製造と販売に従事してもらい、遠方まで、リヤカーや自転車で配達いたしました。又、その頃は味噌醤油の製造小売でした。戦争はますます激しくなり、大東亜戦争にまで発展して勿論、味噌醤油の販売も配給制度になり、1人1ヶ月5合から、3合程にまでになり、受給者は配給日になると、店の前に行列して買って行かれた事を思うと全く夢の様でなりません。
 戦争のために、食糧はなく、金もなく、仕事をしようにも若い元気な者はおらず、全く無いものづくしの苦しい中を乗り超えて、事業を守り続けて下さった方々、又、志中途に早く他界された方々の苦労を思う時、現在の人達は感謝の念を忘れず大いに頑張って行かなければなりません。
 そして昭和26年に共同製造所を東部醤油株式会社(社長福田節子、専務黒田武雄)に発展させ、味噌の製造を止め、醤油1本の卸売に転換した。その頃、工場の敷地の一部を取り入れて、現在の広い道路が出来るために工場の移転をやむ無きに至り、後方の空地及び敷地を借用して、1棟づつ新築して、数年がかりで現在の工場が出来上りました。其の間、黒田、渡辺、高橋等軍隊生活の体験を生かし如何なる困難にも耐え抜き、色々な機械、器具を買い入れ、販売と製造は車の両輪の如く、又、主従一致協力して働き、今日の会社の基礎を作り上げました。その間の黒田、渡辺両君の絶大なる苦労の有ったことを此処に銘記して置きたい。
 又、筆者は最初より製造部門を担当しておりましたが(相手変れど、主変らず)の言葉通り、75日を最長として1ヶ月余りを何回か、無休で出席した事があり、又2ヶ月余も給料の遅配(経営者のみ)の事がありました。でも皆の頑張りで、時代の流れとは言うものの、室板使用の室は機械室に大豆を蒸した釜はNK缶に、火入れの釜はプレートヒーターに、1升枡は自動瓶詰機に等々、機械器具の変り様は大変なもので、昔の面影は全くなくなりました。早く他界された方々が、あの世とかで見られる様な事がありましたら、これが我が東部醤油かと驚嘆されるのは必然と思う。
 これを機会に、戦事中にあった事を2、3、書く事に致します。虫の入る時期だったでしょう。味噌用の米の配給を受けた時、全く貴重な何俵かの米を虫に食べられてはと思い、農協に依頼して燻?をして貰った事があった。この米の不自由な時にと、これを見た町民の誰かがやみ米(法に違反して買った米)と誤解して、警察に投書した。そこで警察官が取り調べに来ると言う笑えぬ、ナンセンスがあった。又、米や大豆の不足をおぎなうために、さつま芋を混入した味噌を配給した事や、塩の欠乏から塩叺を水にしたして、差少の塩分でも使用した事、或は醤油の粕を農家の方々が肥料にするため、喧嘩ごしに取りに来た等、今思うと夢の様な事ばかり、全国民が戦争の苦しみを乗り越える為の大きな試練でした。
 昭和53年3月1日、福田節子社長引退して、同日黒田定男、社長に就任した。
 取りとめも無い事を長々書きましたが、目を閉じて自分の歩んで来た道を、ふり返って見る時、15才で小学校を卒業して、親の仕事の醤油製造の道に入り、今日まで50幾年、その道一筋に精進して来た事を思う時、福沢諭吉先生の心訓を思い出しました。その第一条に(世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つ事である)此の言葉でした。自分はこの言葉通りに4年半の軍隊生活をはさんで、病気らしい病気を一つもせず、全く健康で楽しく天より与えられし仕事の出来た事を、心より喜んで居る者です。
 終りに、後々まで永久に続く人々の為に、現在の会社の人名を書き、益々健康で、会社発展の為、皆様に最大の御尽力を御願いして、筆を置く次第です。
 
昭和54年1月現在
    役 員
    
 取締役社長  黒田 定男  昭和17年4月8日生  昭和41年入社 今立町定友
 取 締 役  高橋与八郎  大正2年1月26日生  昭和15年入社 鯖江市河和田町
 取 締 役  福田 誠   昭和15年11月21日生 昭和34年入社 今立町粟田部
 監 査 役  佐々木小次郎 昭和4年9月3日生   昭和27年入社 武生市五分市町
 従 業 員  浦島 外治  33年入社
        福島治之助  39年入社 
        近藤 哲男  48年入社
        津田 明   51年入社
        高橋 弘一  54年入社
        宮田 明美  38年入社
        佐々木とら子 50年入社
        竹間 正一  37年入社
        北条 伊門  45年入社
        三田村政治  49年入社
        四辻まさ子  18年入社
        永田 文子  37年入社