米五のみそ
株式会社 米五
◆米五家の沿革
 米五家は創設当初より福井城下の谷町(現在地)にある。

◎初代 多田彦四郎 釋乗荷 貞亨4年9月13日没
 寛文年間、徳川家綱の頃、元録文化はなやかしき時代に、勝見大米屋、多田善右ヱ門家より分れて一家を創設し、米屋を開業。当時の米屋は今の銀行に相当し、福井藩内の金融機関の一端をになっていた。米五の本家、勝見大米屋(多田善右ヱ門景連)は、現在の菩提寺演仙寺の四代住職、願順の弟で、当時は武士として越前の野に転戦したが、豊臣徳川の時代となり天下和平の相を呈するや、福井城下にて米屋を営み、越前の金融機関の中心となった。本家大米屋のニ代目の頃、多田彦四郎が米五家を別立したのである。現在ある米五家の墓には、この本家の初代とニ代の夫婦の法名も彫り込んである。これは、この墓を建立した人(恐らく三代目多田五右ヱ門と思われる)が、自家の系譜を明らかにする為に記入したものと思われる。従って、米五の初代は本家大米屋より数えて三代目に相当する。尚、福井名物「ばか囃子」の面は、この本家大米屋の善四郎が寄進したものである。

◎ニ代目 多田五右ヱ門  釋乗円 正徳2年1月1日没
 七代目までは五右ヱ門を襲名する。
 この人は、勝見大米屋の系図にも記録があるところをみると、本家の血縁の者で、初代彦四郎に子がなかった為、大米屋の息子が相続したものであろう。米五と云う名称は、この頃(約300年前五代将軍綱吉の頃)より始まるものである。

◎三代日 米屋五右ヱ門 寛保2年9月13日没

◎四代目 米屋五右ヱ門 明治4年9月19日没

◎五代目 谷町五右ヱ門 文化10年3月29日没
 米五家は、代々米屋を営んできたが、この五代目頃より醤油みそ業を始めたと思われ、演仙寺の過去帳によると、この時代より米屋と云う称号がなくなっている。


◎六代目 多田五右ヱ門 明治14年10月9日没
 多田家は代々熱心な仏教信者で、特に仏の教えを尊んだが、又、俳諧や絵画も嗜んだ。亡くなる時、次の辞世を残す。
   −かりそめの うき世に住むも ただならず
      南無阿弥陀仏の 御恩忘るな−
   −花の世の  花見おわりて うれしきは
      限りなき世の  花を見るかな−

◎七代目 多田五右ヱ門 明治44年12月13日没
 この人も大変ご法を喜ばれ、若い時は家業にはげんで家運を起した。慶應3年より明治34年までの決算成績表を記録し、その中で『茲二年々比較ヲ列記シ併セテ将来ノ勉カヲ奨励スル為メ一言ヲ掲ケ以テ永遠ニ服膺 ス可キ事ヲ務ム』と書き、次の家訓を残している。
 心 愈 謙 則 徳 愈 崇
 事 愈 勤 仍 業 愈 廣
もともと、俳諧や絵画に秀でて、美濃派十四代宗匠(雅号−其流)を務めた程で、家業を次代に譲ってからは、諸国の山水の佳景に足を運び俳句を作ったり絵をそえたりした。その手のあとが、お盆や屏風に家宝として残っている。又、能の舞もすぐれ、能楽堂での舞で松平文岳公(松平十八代康荘)より「佳気満高堂」と書かれた軸を、賞として戴いた。

◎八代目 多田五七郎 昭和21年4月21日没
 大変温和な方で、先代を継ぎ業に励む。仏の道を大切にし、常に家族にもその事を云いきかせた。仁愛学園の創立に協力し、又、大正7年には、弟の八木友作氏など有志と共にフク醤油株式会社の設立に力を注いだ。俳諧・絵に趣味を持ち(雅号−文湖)心なごやかな日々を送った。

◎九代目 多田五郎治 昭和39年3月26日没
 享年58才と短命であったが、その生涯の後半は、国は敗戦、米五にとっては空襲・震災・水害など波瀾万丈の時代であった。そのピンチを、禍転じて福となし、米五の近代化を目指して昭和29年、株式会社米五商店を設立し、その礎をつくる。

◎十代目 多田健治 平成12年7月1日没
 苦しい時に家業を継いだが、PRや社交性に富み「米五のみそ」をキャッチフレーズに、みそ専業としての地位を高めた。スーパーへの進出や近代的設備の充実に励み、無借金経営を実現した。また、政治経済に興味を持ち、自他共に認める鉄道ファンでもあった。特に欧州の鉄道を乗るために何度かの渡欧があった。あと少しで全線乗車を夢見ていたが、晩年の闘病生活で残念ながら叶わぬ夢となった。

  −先祖は単なる過去の人ではない
     己の生命(いのち)の中に今も生きている−


◆株式会社米五の年譜

 昭和29年、資本金100万円で株式会社米五商店を設立。(第1期の売上げ985万円)
 昭和38年 主要仕込場を鉄筋コンクリート化し、2階に仕込み関係をまとめ、
      1階には温醸発酵室4室を完成。(96.9坪820万円 当時の売上げ2,460万円)
 昭和39年 初代社長、多田五郎治病死(3月26日)し、多田健治跡を継ぐ。

 昭和41年 全自動ボイラー設置にともない温醸発酵室4室を増設し、
      仕込桶ごと移動するリフターを購入して工場近代化の第一歩を進める。
      福井保健所より「食品衛生優良施設」として受彰す。
 昭和42年 金沢地方専売局長より「優良塩販売者」として受彰す。
 昭和43年 200万円に増資。鉄骨工場65平方メートルを新築し、発酵室4室を増設して
      信州小口式自動製麹機を設備する。
 昭和45年 日本専売公社総裁より「優良塩販売者」として受彰す。売上げ5,000万円突破。
 昭和46年 鉄骨工場を43平方メートル延長し、大発酵室を設置す。みそ自動充てん機2台、
      みそパイプ輸送設備、みそ移動リフター(2台目)を購入す。
 昭和47年 670万円に増資。鷲塚に667坪の土地を購入。鉄骨工場88平方メートルを増設し、
      重油地下タンク設置す。
 昭和48年 「優良申告法人」として表敬状を受ける。
      住宅を新築し、旧住宅を事務所に改造する。
 昭和49年 1,005万円に増資。株式会社米五に社名変更。
      永田式回転自動製麹機、回転米蒸煮缶、大豆用NK缶などの省力機械設備と
      高圧受電装置。売上げ1億円突破。

 昭和50年 中央卸売市場で株式会社大戸食品(資本金400万円)を設立。
 昭和51年 1,350万円に増資。最後まで残った木造工場をこわし、鉄骨工場延328平方
      メートルを新築す。10トン大豆サイロ、洗穀機を設置す。
 昭和53年 みそ堀出し機、自動混合機を設備し、「米五のみそ」全製品の純正食品化に成功す。
      「優良申告法人」として、再び表敬を受ける。
 昭和54年 鉄筋コンクリート3階建、延385平方メートルの本社ビル完成する。
 昭和55年 醗酵タンク11本増設
 昭和58年 「優良申告法人」として3回目の表敬状を受ける。
 昭和59年 1700万に増資。ポンプ輸送機2機導入。

 昭和60年 多田邦夫社長就任、多田健治会長に。味噌混合攪拌機導入。
 昭和63年 2040万に増資。「優良申告法人」として4回目の表敬状を受ける。


 平成元年 芭蕉の句碑を再現する(星宵塚)
 平成4年  販売管理システム導入。通信販売を開始する。
 平成5年  自動製麹機導入。売上2億円突破。
 平成6年  自動充填機、真空包装機導入。「優良申告法人」として5回目の表敬状を受ける。
 平成7年  ホームページ開設。「極味」販売開始。

 平成10年 通販顧客管理システム導入。
 平成11年 低温冷蔵庫設置。
 平成12年 多田健治死去(7月1日)。
      「優良申告法人」として6回目の表敬状を受ける。
 平成13年 伊東工場長勤続50周年。混合機全面入れ替え。多田和博社長就任、多田邦夫会長に。
      インターネット通販システム導入。
 平成15年 仕込み混合機設置
 平成18年 本社店舗リニューアル
      低温長期熟成味噌「ほまれ」新発売。
      味噌作り教室実施。