味噌工業協同組合の歩み   醤油味噌工業協同組合の歩み
第1期〜第5期 第6期〜第10期 第11期〜第15期 第16期〜第20期 第21期〜第22期

 
▼第21期(昭和48年4月01日〜昭和49年3月31日)
  サッカリンの使用禁止(及び使用制限)
 昭和23年食品添加物としての使用を許可され、食品には広範囲に使用されてきたが、昭和48年4月28日付の官報に告示され同年11月1日よりその使用を禁止されることとなった。その後食品業界で大きな問題となって厚生省を中心に検討し、12月18日に暫定許容摂取量(しょうゆ・みその使用は0.005%以下)を決めて解禁を発表した。然し使用を許可されたものの、その後食品業界の厚生省に対する使用制限量緩和の運動が活発に行われて、昭和50年7月規制の大巾緩和が決定した。(規制緩和により、しょうゆ・みその場合1Kg当り0.05%以下となる)
  倉庫の建設と増資
 かねて検討中の倉庫は、今後の敷地利用を考慮し、永久的なものでなく簡易な建物(延42坪)で新設することを昭和48年5月31日の定時総会で決定した。
  (味噌工協組は第20回定時総会(昭和48.5.25)で承認可決している)
 また倉庫新設に伴い出資金の増額を同総会で決議し、昭和49年3月末の出資金5,075千円となる。
  理事の補欠選挙
 永年組合運営に尽力された野村重三氏が逝去(昭和47年10月26日)され、欠員となっていた理事の補欠選挙を、右定時総会に於て行い、下記のとおり選出された。
  理 事  野村重一郎
  正田文右エ門氏のご逝去
 日本醤油協会会長として、長年に亘り業界の運営に貢献され、多大の功績を残された全国醤油業界の長老である正田文右エ門氏が、昭和48年7月25日永眠されました。(享年83才)謹んで哀悼の意を表し、衷心より御冥福をお祈り申し上げたいと思います。
  石油不足による物価の高騰
 石油不足に伴う品不足と物価の高騰により、日本経済は未曽有の大混乱に陥った。醤油味噌用原資材は言うに及ばず、トイレットペーパーに至るまで、あらゆる物資が不足して価格の大暴騰を招いた。本年7月に完成した倉庫が、この異常な状態を多少なりと、柔らげる役割を果すことを全然想像もしなかった。従来の保管能力に比較し、遥かに収容力のあった倉庫の資材及び商品の在庫は数日の間に払底する状況となった。当時はどんな商品でも飛ぶように売れた時期で、組合斡旋の食用油、砂糖、ソースなど過去の実績で配分するものが数多くあった。また出勤早々現物引渡しのため一旦倉庫に入ると、相次ぐ組合員の来所で、事務所に戻っての納品書作成が出来ない程の混乱ぶりが続いた。輸送についても遠隔地間の輸送依頼には、先づガソリンを準備してからでないと、OKがとれない状態だった。こうして物資獲得に狂奔している時、石油需要に関する調査が行われ、12月18日の名古屋で説明会の翌々日には、臨時総会を招集しての調査票記入、数字的に相当複雑な調査だったが残業して集計し24日には前川氏が持参して上京するという慌ただしさだった。総会当日は1人の欠席者もなく、当時の緊迫した状況が推察出来る。昭和48年度は多額の剰余金計上により事業分量配当を行ったが、今後の健全な運営のためにも極力内部保留に努めるべきだろう。
  全員協議会を開催
 原資材の高騰など目まぐるしい業界の急変に対応すべく、原資材問屋10数社の出席を請い、昭和48年11月26日山代グランドホテルにて全員協議会を開催した。会議は出席仕入先より個々の関連する業界の現況と今後の見透しにつき説明があり、質疑応答、意見交換などを行い、有意義な業界懇談会として終えることが出来た。
  日本醤油協会の創立25五周年記念
 昭和48年12月11日、日本醤油協会の創立25周年記念式典が東京・帝国ホテルに於て行われ、会長賞受賞の八木理事長ほか2名の受賞者が出席。
  醤油の価格改定続く
 原料高騰により48年1月販売価格を改定したが、その後の原料、副資材の不足による値上げと諸経費の上昇のため10月より卸価格1.8リットルに付60円(小売価格80円見当)の価格改訂を実施。更に翌49年2月には石油不足に伴う容器不足、諸物価の高騰が続いたため、止むを得ず1.8リットルに付卸価格40円(小売価格50円見当)の再値上げが行われた。当時空瓶の引取価格は500円(1.8リットル10本入1箱)に改正されている。1年余の短期間における3回の価格改訂にもかかわらず、原料・諸資材の急速な価格上昇と諸経費の増加を満たすには程遠い状態であった。

 
 
▼第22期(昭和49年4月01日〜昭和50年3月31日)
  労務改善事業の集団指定
 県より中小企業労務改善事業の集団指定を受け、組合としての改善目標を作り、昭和49年4月より昭和52年3月まで県補助金の交付を受けて、中小企業の労務改善を実施する。(山元浄次氏に労務改善指導員を委嘱)労務改善事業については県労政課の監督指導により、下記事業を中心に労務の改善向上を図った。
  1、労務(経営)講習会の開催 2、諸調査の実施
  3、福利厚生に関する活動   4、資料の提供ほか
  退職給与規定の設定
 職員の退職金支出については、既に中小企業退職共済事業団に加入(昭和36.5)、退職金の積立を実施しているが、役員会(昭和49.4.23)に於て退職給与規定を設定した。
  日本醤油検査協会の発足
 しょうゆの格付機関として昭和49年6月1日より、日本醤油検査協会が発足し、しょうゆの農林規格に関する一切の業務を行うこととなる。検査協会の設立により格付機関全国醤油工協組連合会は解消する。なお本県検査所の管轄は神戸より名古屋に移行(昭和49.4)
  味噌組合との合併決まる
 両組合の合併問題につき昭和49年6月24日合同役員会にて協議、近県で醤油味噌工協組として運営している組合の状況を参考とすることを決定して、8月2日富山県醤油味噌工協組にて運営状況を見聞し、同資料により詳細に検討を重ね、懸案の合併問題も実現に向って急速に進展することとなる。
 昭和49年10月25日臨時総会を招集して協議の結果、味噌工協組との合併(昭和50年4月1日)を承認可決、合併に至るまでの協議接渉については、すべて総務委員会に一任することを決定した。その後県工業開発課、今泉税理士と諸手続について協議し、50年1月13日の合併小委員会にて計画書(下記)を作成、計画書にもとづく両組合の合併が実現する。

     醤 油 組 合       味 噌 組 合
 50.2 臨時総会招集(定款変更)  臨時総会招集(解散決議)
 50.3 合併通知(組合員・取引先他)   同  左
    定款・名称変更届(県へ)  組合の解散届(県へ)
 50.4 味噌の資産・負債継承    資産・負債の譲渡
    組合加入(旧味噌組合員)  組合員に持分払戻
  バーベキュ一大会の開催
 ボーリング大会の開催で中断していた従業員・家族の慰安会は、趣向を一変して大野市勝原(スキー場)にて、バーベキュー大会(昭和49・10・20)を開催、久し振りの屋外での合同慰安会だけに百数十名が参加し、舌鼓を打ちながらジャンボクイズなどに興じ、最後に恒例の空くじなしの福引きで幕を閉じた。当日は天候にも恵まれ数名の意識不明者(?)が出る程、思い出に残る実のある合同慰安会となった。
  両組合合同の臨時総会開催
 昭和50年2月20日県職員会館に於て、合併に伴う両組合合同の臨時総会を開催した。総会の議事経過及び議決事項は大要次のとおり。
 ●先づ醤油・味噌両組合合併に関する経過と今後の予定につき詳細に報告
 ●醤油組合と合併するため昭和50年3月31日附で組合を解散することを承認可決。(精算人に新谷孝氏を選出)―(味噌)
 ●定款の一部を下記のとおり変更(「」内を挿入)
   第 2条 名称変更(福井県醤油「味噌」工業協同組合)
   第11条 資格・・・醤油「または味噌」の製造業を営む者)
   第26条 役員定数・・・理事14名以上17名以内(旧15人)
              監事1名以上2名以内(旧3人)
   第29条 理事のうち1人を理事長「2人を副理事長」
       ・・・(副理事長は醤油・味噌両部会より各1名選出)
 ●4月1日より新しい組合運営を実施することになるため、事前に(50年5月役員改選)合併後の役員選出の要あり、理事17名、監事2名を選任す。

 
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